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近況報告 久しぶりに光太郎エッセイを書きます コロナウィルスの蔓延で世の中騒然こんな時どうして行くか あわてず騒がず只でんと構えて自分を信じて今出来る事を考えて置くこと私の父はよく言っていました 後ろを振り返れ、一見反対のように思いますが前に進むことより大切なことだと思うようになりました 芸術をするものの大事なことがらかもしれません 魂の深層を掴むことが大切な仕事で先人が深く共鳴した魂の真実を探り掴むことが大切であるというおしえではないか 芸術は魂の輝きの一瞬を書き留め演じることだとおもっています こんな時時こそ心を鍛える 本物の芸術にふれる 人間の根源を掘り下げる 元気に前向きに日々を過ごす 幸不幸は自分の心持ち次第だと思います どう生きてきたかをしっかり検証すること 他人の事を云々言ってる暇はないのです ☆ ☆
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり 高校時代に知った芭蕉の「奥の細道」の一説である。何故かこの句に何とも言えない哀歓を感じ、わすれられないのである。 私は、旅が嫌いである。心の奥底に見え隠れする何かがそう思わせるのである。それなのに、俳優という職業がら色々な所に旅をしている。まして、先日の若手劇団の『月のひまわり』二月公演では、「旅の詩人」と言う役を戴いた。マントをはおり大きな荷物を持ち、そのおりおりに詩を書く吟遊詩人といった役柄だった。 なぜ、旅が嫌いかは私自身がよく知っている。私の父は、洋画家であった。五歳から十二歳まで私が中学生になるまで、足掛け十年余もパリに居た事になる。その間私は、三回しか会っていなかった。1960年代のまだ今の様に気楽に海外に行けなかった時代。円も三六〇円と言う時である。今でも鮮明に覚えているのだが、おめかしをして頭にベーレー帽被り胸に自慢の双眼鏡をぶらさげていた私が、大人達に囲まれて羽田空港の国際線待合室ですましていたのを思い出す。成田空港などかげも形もない時代,渡航と言えばまだまだ命がけだった。国際賞に挑戦し、命を燃やす毎日には子供の姿は必要なかったからだ。その上母も一緒にパリを行ったり来たりした。私と九つ上の姉とが、お手伝いの者と留守を守る生活である。やっと帰国した、父の姿を見てもどこかのオジさんの様に感じ、また、別れなければならない不安が他人行儀にしてしまう。はじめて親子で動物園に行った時も,話のきっかけがつかめずぎくしゃくしてしまう。そんな不思議な親子がライオンバスに乗りガラス越しに見える、ライオンの親子を無言で見つめている。他人の目には,どう映っていたのだろうか。 小学校三年生の頃、自宅で絵描き仲間の集まる酒席に紛れ込んだ私は、父に向かってこう行った。「パパは、ヨーロッパに行かなければ絵が描けないなんて、絵描きとは、言えない.」「本物の絵描きは、どこでも描ける筈だよ」と。私の精一杯の主張をした。 父は、大分ショックを受けた様だ。そのくせ父が不在のときには、「お父さんは、何処にいるの」と聞かれると胸を張って「パパは、ヨーロッパ」と答えていたくせに・・・・。その後、日本人には、とれなかった国際賞をとって、帰国した。しかし、取材旅行は終わることなく、毎年夫婦でギリシャ,アフリカ,中近東等出掛けった。 それから幾度となく、家の前で二人を乗せた車のテェールランプをみおくりながら、『今度、いつ会えるのだろうか』と自分に言い聞かせて手を振った。 十年前に、フランス革命二百年に涌くパリでユネスコ国連本部において父の記念展が開催される事となった。全力投球で準備していたのにもかかわらず、九月開催目前にして突然帰らぬ人となった。期せずして永遠の旅に出たときも「じゃーまた。行ってくる」というふうだった。振り返って見れば、亡くなる直前までその旅と挑戦は続いた事になる。残された私達家族は,納骨を済ませ一ヶ月後にあわただしくパリに渡ったのだ。父の愛したパリはちっとも変わらず、私達を優しく迎えてくれた。セーヌ川は、ゆっくり流れ、モンマルトル寺院は,相変わらず観光客で賑わいをみせていた。展覧会初日には、サンジェルマンデプレ教会で追悼ミサもあげていただいた。展覧会の合間に、父の住んでいたモンパルナスのアパルトマンの近くも一人で歩いてみた。パリジャンや観光客の人垣の間から旅姿の父が微笑んでいるように思えた。父のテーマだったピエロの哀歓とヨーロッパの風景は、今も色鮮やかに語りかけている。 ここにピエロの家族という父の残した絵がある。地球の反対側で互いに想い合いつつ,通じ合えない切ない心を、父も判ってくれたのか・・・。この絵にこめられた深い思いが私を包んでくれる。 四人家族のピエロの姿である。旅をこよなく愛し、家族と別れ絵を描き続けた、父。 人生は,ピエロだよ 地位や名誉があっても所詮空しいもの。人を楽しませ、笑いながら仮面の下に孤独と悲しみを持ち、まだまだ先があると思いつつある日突然、幕がおりる。セラビー。それでいいのだと・・・。そんなピエロ達に「飲もうよ 歌おうよ」と言ってやさしく語りかけた父の姿。今になってその気持ちが痛いほどわかる。そのことが、私を演劇と言う自己表現の世界に駆り立てたのかもしれない。 今日もどこかの街で、色々な役を演じながら舞台に立っているだろう。旅人の別れと出会いが身にしみた、芭蕉の句が好きな理由は、私の心象風景に中にあるのかもしれない。 私の旅嫌いは、幼き日々のトラウマなのだ。 朗読家 俳優 武田 光太郎 ピエロの家族 武田範芳作 ジョイセフ 「世界と人口」 6月号に掲載されたエッセイです リサイタルプログラムから まもなく,あと一ヶ月ちょっとで20世紀が終わりを告げ21世紀がはじまろうとしています。今の世の中大変な変革期に突入しています。天変地位や経済問題,あらゆる事が怒涛のように,押し寄せてきています。この時代にどう生きてどう活動していくか,本当に悩むところですね。 朗読の観点からふりかえって見れば私の朗読作品は翻訳されたものが非常に多い。 何故か,外国と日本のはざ間にある,文学を好んで読んできた。 星の王子さまも翻訳詩の数々もみんな日本語と外国語のはざ間にある作品だった それは,人間と理想の魂のはざ間であったり,男と女のはざ間で行き交う人々の人間賛歌と悲哀だったりした。わたしの持つ声が高音とハスキーボイスを持つ特殊な声でもあったからだ。それゆえに,私自身はざ間の中で生きて演じて来たような気がします。まさに,はざ間の時代にあって,私のこだわる夢と美をかんじていただきたいと思います。一歩一歩 時代の風を感じながら生きて演じて行きたい。今回いらっしゃれなかった方々も,是非次回にはざ間の美を聞いて頂きたいと思います ポエテックリサイタルプログラム一部引用 光太郎 朗読を楽しむ 弟一回 朗読についてどう思われますか。この数年朗読がブームになっています。朗読、朗らかに読むと書くからには、読む芸術なのです。しかし、よく質問があるのですが語りやナレーションとはどう違うのだろう、暗唱している朗読はなんだろうといわれますがこれは、兄弟のようでもあり全く違うものと言っていいとおもいます。たとえばプロレスと柔道のちがいのような。語りとは。日本古来の口立てで伝わる民話や清元などのもともと本のないものです。昔の人はその村や社会に伝わる物語を口伝えに伝えていきました。そこには各地の方言や習慣が盛り込まれた独特の世界があります。日本の伝統芸能の音楽や芝居はほとんど口立てでおこなわれてきました。台本というものがないのです。一方、現代になって映像や報道を伝えるためにアナウンサーやタレントが言葉をつけていくのがナレーションです。ニュース原稿は抑揚のない意味を伝えてく事を大事に読む、またドラマや映画のストーリーを引きたたせたり、筋道を補足するナレーションもあります。それは、機械的な要素もあります では、いよいよ朗読はなんだろう。単によむことからその文章のうらにある作者の伝えたい本質までも丹念に掘下げてよんで聞かせる。それは本をもたない暗礁朗読のように発散や攻撃的てもなく本を読むことにより一つ柔らかなフィルターをかけて聞き手に伝える 朗読を楽しむ 第二回 今回は日本語についてお話しましょう。日本語は私達の母国語であり日本人であるあかしでもあります。海外の言葉も大事ですが、なによりも日本語がきちんと話せる事は国際社会においても大事なアイデェンティティーではないでしょうか。自分の国のことばもろくに話せず海外に目をむけても説得力はありません。反対に日本語ができるからこそ異なる言葉も正しく話せるのではないでしょうか。日本語は記号的なことばであるアルファベットなどとくらべ情感の豊かで奥行きのあることば。しかしその裏には、曖昧ではっきりと物を言う事をさける傾向があります。これが外国の方が日本語を学ぶ時苦労する所でもあります。しかし、其の情感をフル回転して表現することができれば深く伝える朗読ができるのではないでしょうか。四季のある独特の生活習慣からうまれた言葉、彩りと美しさ、みずみずしさがある日本語。今こそ日本語の美しさ、表現を見直していくべきではないでしょうか。こういう時代ですが日本に生をうけた喜びを言葉をとおして分かち合おうではありませんか たとえば、日本語のことばは語尾に情感を表す傾向がります。語尾変化によって怒りや悲しみ命令や喜び同じことばがこうも音によって変化していくのかと思うほどです。ですから文章を読むだけでは本当の意味が示唆することができにくく、声を出して読む事が重要になります もう一つは接続詞。これも読むことに大事なポイントになります。たとえば と、を、が、はも、などこの使い方がとても大事になるのです 日本語は語尾で表現することば。言葉と言葉のつなぎめをどう表現するか。これから少しずつ具体例を出してまなんでいきましょう 朗読を楽しむ 第三回 三回目は言葉の中身について少しお話しましょう。日本語は記号のようにブロックで分かれている言葉と違い、一言でも感情表現が出来てしまう特殊な言葉です。例えば、英語のように肯定形や否定形を前につけるだけで意味が変化する言葉ではありません。短いことば、あれ、それ、これであっても怒りや喜び 楽しさに変化してしまう不思議な所があります。た゛からこそ言葉をどう扱うかどこの部分の感情からだしていくかが問題です。雪と言うひとことで春先の雪なのか秋の頃の雪なのか粉雪なのかボタン雪なのか、ゆきという言葉だけでわかってしまうぐらいに、表現できれば生き生きとした中身の濃いことばになるでしょう。前回お話した接続詞、ことばとことばを結ぶ、と、を、が、は、などの使い方が非常に重要になっていきます。 次に語尾変化によって感情表現することばについて、この微妙な変化のコントロールを覚える事は朗読にとって不可欠な条件になります。これは簡単なことではないようです。語尾変化に大きく平板、上げる、下げるによって大まかですが語尾をかえることによって表現が変化します。それには、語尾までの文章の流れを音と高低によって変化することです 今回は、少しむずかしい、お話をしました。ここのところは実践をともなわなければわからいところでもあります。四月からは、お休みの日の朗読講座が読売文化センター町田で開講します。3つ目の講座になります。とうぞ、御一緒に朗読をたのしみましょう 全国のみなさまはどうぞ連絡先のメールでお気軽に御質問ください 朗読を楽しむ 第四回 この連載も早、四回目にはいりました。前回で申しあげた語尾で変化することについてもう少しお話しましょう。日本語の文脈で語尾で変化すると変わるのは感情表現です。音と高低といいましたが、これも文章の終わりかかりから変化がないとうまくいきません。語尾だけを変化させても舌足らずになってしまうのです。例えば、「それを取って」という場合、「とって」という言葉を山型に変化しないと色々なに表現ができません。みなさんは自然にそれを運用しているのですが、いざ文章を読むだんになるとうまくゆかないのです。文章の流れからかえていかなければ、後ろだけを変化させても意味をもちません。これは、世の中の事柄も同じですね。根本がかわらなければ。 日本語はやさしいが芯のある文脈をもっています。これは私達の住んでいる国の山々にも似ています。外国の山々に比べやさしい稜線です。そうです言葉はまさに風土によって創られています。その地方の温度や季節によっても変化しています。ですから生きた言葉を文書を読む事に乗せていかなければなりません。なまりやアクセントの違いも大いに生かしていきたいのです 問題はその人が与えられた文章のなかにもいかされているか、作家と融合しながら自分自身の言葉で生きているか。これはその人の生き方にも関わって来るのです しっかり自分自身をみつめて好きな作家の文章を読みましょう。レッツ朗読! 朗読を楽しむ 第五回 今回は発声についてお話しましょう。よく教室で生徒さんの中で私は声が悪いから、とか声が小さいという悩みをおっしゃる方がいますね。声には高低や音色の違いはあるにせよ悪い声はひとりもいません。それは、声は創られるものだからです。複式呼吸 横隔膜呼吸ともいいますがこれを鍛えることによって、声は多いに変化します。お臍の下、丹田にある筋肉をきたえて、ポンプのように鍛え上げる事によって声は創られます。朗読は読む事と声の芸術です。声を鍛えるのは不可欠になります。まず。リラックスして仰向けに寝てみてください。鼻からすってお腹を意識してみてください。お腹に空気が入る意識でじっさいには肺の下側にさげています。それを少しずつ口から 「はー」とだしてみてぐださい。少しずつ空気の移動をふやしてやってみてください。それから立ってやってみてください どんな声がでましたか。無理をしないで少しずつやってみてください。 大きなこえより通る声がでるようにやってみてください。これは積み重ねが大事です のどもきたえられ血液循環がよくなり健康になること間違いなしです。さあ今日からやってみてください 「はー」わ変えてあ行やほかの行でやってみてください。さあーレッツ発声 朗読を楽しむ 第六回 この連載も六回目ですね。私は今、青山の公演の稽古でがんばっています 朗読とセリフの違いについてお話しましょう。朗読は一つ一つの言葉をしっかり発声して文字にかかれている文脈に情感や感情を乗せていきます。台詞は言葉を発するときに情感に息を混ぜる事が多いのです。台詞はやりとりの中に行動や感嘆詞が多くふくまれています。ですから、音にならない言葉もあります。ところが朗読はすべての言葉をきっちり発声することが基本になります。また、文章は長いものや点の少ないものがあります。とくに語尾にかけて意味合いがつく事がおおいので肺活量もかかります。意味をもたせるためには、音の安定も大変大事になっていきます。初心者で朗読する場合、このことがどうしても弱くなりがちになりすそつぼまり現象になり、肝心の意味がはっきりわからなくなってしまいます。安定する発声は肺活量の多さにも関係します。得に日本語は語尾で変化する言葉だからです。台詞は、表現がひろく息まじりもおおくはっきりしゃべる事だけではありません しかし、台詞はうごきながらしゃべるのでまたちがう意味で肺活量はひつようです。調子や息で朗読しないよう気をつけてください 朗読を楽しむ 弟七回 久しぶりになってしまいました。朗読を実践していますか。朗読を楽しんでいる方々が昨今ふえていますね。しかし、勝手にやっている方も増えています。楽しければ気持ちよければという事では良くないとおもいます。なにせ、人に伝える言葉なのですから正しく伝えてほしいのです。最近のテレビでは間違った日本語か゛多く見られます。そしてそれを何回も放送することによっていつのまにか定着してしまう事があります。とても怖いことです。朗読は基礎的な事、発声法、声づくり、アクセント、イントネーションなどをしっかりみにつけ、その上で私が提唱している語尾変化をしっかり身につけてもらいたいのです。語尾の変化、音の高低や強弱を何処へ誰に持っていくか。それがうまく表現できていない方が多くみうけられます。教室でも、その音を耳で的確に捉えられる訓練をしつこくやっています。 このことは、一筋縄にはいかないようです。文章には音符がありません。しかし、作者が作った文脈があります。それをどうコントロールする事が出来るかどうかです。その流れを真剣に学ばなければ伝わる言葉が表現できません。ことばを生きたことばにする。横たわっている言葉という風景を生きた生きている実像にしていくのは、朗読者自身なのです。消えていく言葉ではなく残ることばを伝えたいものです。わたしたちがあまりにも消えていくちんけな言葉に囲まれていることを実感しつつ、真実の残る言葉を捜す事。それは、朗読者にとって不可欠なテーマではないでしょうか 質問、どうぞお待ちしています。最近の言葉事情もお寄せください! 朗読を楽しむ 弟八回 前回に朗読には音符がないと申しました。確かに文章には音符がないので、どうしてよむかはどこを基準にしたらよいか分からないところです。読む間に変な調子や節回しが出てきては台無しです。文章表現は作者の意図にそって自分の感情の引出しから一致するものをとりだして言葉に載せていく。言葉で申しますとこんな感じになってしまいますが・・・。よく生徒さんには、テレビの歌謡番組なとに出てくる歌詞のテロップを見てみなさいといいます。歌手の唄っている歌詞の流れが、音に乗りながら感情の起伏を捕らえている事がお分かりだとおもいます。いい歌手ほど的確に歌詞と感情がのっていることがお分かりでしょう。文章はもっと平板にシンプルですが歌の場合より強調してるのがお分かりでしょう。 来年ひさしぶりにポエテックリサイタルをいたしますが。私のあみだした洋楽の歌詞を読んでその音楽が演奏されるという手法もそのような所からヒントを得ました。是非、その実演をみてほしいものです。 今回は少し難しい事を書きました。どうぞ質問があればどしどしメールください。 朗読を楽しむ 第九回 今年も残りすくなくなりました。今年は教室の発表会を3回致しました。ふりかえれば。朗読を教えて十二年位になります。来年は記念発表会、ポエテックリサイタル、特別講座と初夏まで沢山の計画がされています この間、沢山の生徒さんに朗読の楽しみを教えてきました。今年のまとめとして、大事なポイントを二三アドバイスしましょう。まず、想像力をいかに持つか、春なら春ということばにどんなイメージとイマジネーションがあるか。春のはじめ、真中、おわり、空気や風景、出会い、わかれ、そんなことが一言の春に集約できるか、それだけの観察力があるのか。それは言葉にたいするこだわりと同時に生きることの大切さのあらわれではないでしようか。最近、根気や集中力の欠如が見られる方が多くなっています。それは、若年層から中高年までみうけられます。それは、社会生活が集中力を欠けさす原因が多くなってるからです。携帯やメール。一見便利ですが便利は人間の脳が不便になる事でもあるのです。考える力を失うからです。 声についても言えます。きちっとした声を出さず、こもる声で話をしていると空気の循環や血液の循環が悪くなります。最近、心から笑った事があるでしょうか。お腹がよじれるほど、笑った事。あれは、複式呼吸の原点です。は、という発声でお腹から声を5回ほど出してみてください。声とイメージ力をたかめましょう。そうすれば日常のささいな事も嬉しく感動するものです。朗読は読むだけのものではなく、感じ体の活性化でもあるのです。 朗読を楽しむ 第十回 早いもので、この連載も十回をむかえます。最近、以前からですが教室で良く話すことなのですが、何故朗読をするのかという事です。その意味を明白でなければ、物事はやっている意味がありません。 それは、人は唯、生まれて死んで行くのではなく、この世に大切な意味を持って生まれてきたのです。だからどんな人も役にたたない人は一人もいません。その意味を生きてる間にしるために、沢山の人とであったり、家族と暮らしたり、友を創ったりしながら生きていくのです。そして、その人たちと、自分が何故生まれて生きているかの意味を感じ、生きる事をわかちあうのです。時には、明日起き上がれないときもあるかもしれません。でも、人は一人で生きているわけでは決してないのです。一人暮らしだから一人だわ、と思っている人もいるかもしれませんが、たとえ砂漠の中や、荒野を一人ぼっちで歩いていようが、太陽や風をあびて、大宇宙のなかでの恵みを戴いている。決して一人ではありません。自殺する人、もういちど考えてください。何万年もの間、自分の遺伝子をささえた肉体をみずから断つ事が許されるでしょうか。自分自身を大事に宇宙の摂理の中から生まれてきた事実を大事にうけとめて、辛くてももう一度生きてみようではありませんか。長くなりましたが、朗読も文学を伝えることにより生きる糧をみんなと分かち合うことだと、私は信じて演じています。その大事な意味が判った時、はじめて心の叫びをベースにした朗読を伝えていく事ができるのです。世の中に意味のないものはない。負けそうになったら、一度立ち止まって、また始めたらいい。投げたらあかん。です。 最近、世の中が混沌として、自分自身の生きて行く、意味が掴めない人が増えています。救うなんておこがましいけれど、声をかけあって励ます事位は出来ます。どうぞ、生きた言葉を投げかけ、色々なことを乗り切りましょう。その意味でも言葉は大事ですね。 朗読を楽しむ 第十一回 2004年の幕が開きましたね。去年より世界情勢も急激に変化しています。そんな中で日本語の役割は益々大きくなっています。それは日本人である事の証でもあるからです 昨今、美しい日本語なとどと言われて久しいのですが、美しさや綺麗さよりまず自分の言葉を持って話す事の大事さではないでしょうか。自分自身に自信を持ち、日本人である事に誇りを持つ。それは自分自身をわかる事でもあります。それはまず良い人間のことば、一生懸命生きている人の言葉ではなければなりません。その事を考えれば自然といい言葉は出来上がるとおもいます。朗読は色々な作者のことばをかりて表現しますが、その本質は人間愛ではないでしょうか。相手の気持ちになる事、作者の気持ちになる事、生きる本質と苦しさや悲しさまた 人間としての喜びを感じる。そこを判ることは朗読に限らず全ての表現活動に不可欠のものです。これからの時代は自分自身に深く確かな生きる力をつける事が大事だと思います。 他人や会社は当てになりません。自分自身を見つめなおし他を見るちから、リベート力を持つ事。そうすれば自然に説得力のある言葉が生まれるでしょう。朗読のやり方以前に自分自身の試される時代になっているのではないでしょうか。年頭にそんな事を考えながら今年も楽しい朗読を学んでいきましょう。
バリ島に行く どういうわけか,バリ島に行ってきました。このへんで気分一新して5年前のニューヨーク以来の海外脱出でした。いままで,稽古場や教室のいったり着たりの穴倉生活から,脱出したくて思いきりました。いわゆるリゾート地は,久しぶりです,そう25年ぶりかな。ところが,バリ島は,たんなるリゾートでは,ありませんでした。経済は,もうぶっ壊れていて,10マンルピアと言うけったいな貨幣価値におどろきました。お札の量が半端じゃありません。わたしが,泊まったのはウブトとという 日本でいえば,上高地か軽井沢というところか,山側の芸術家村でした。バリのひとたちは,ヒンデュー教徒で街の至る所にお供え物があります。タクシーも交渉性をとっていて,客引きのように寄ってきます。買い物も交渉しだいで,びっくりするほど違います。 でも,バリの人々は,躍動感に満ち 満面の笑顔で包んでくれます。今の日本人が忘れてしまった大事な姿がこの島にはあります。それは,生きる意欲と勇気,なによりもこの島にうまれた誇りが感じられ,目がきらきらしているのです。子供から大人まで街のいたるところで汗して働いている。それは,やらされているのではなく,自ら生きている姿なのです。今,悩んで死にたくなっている人がいれば バリに行って御覧なさい。きっと生きる本質が見えてくるはずです 日本は,機械化され自ら手を汚さなくなり,人としての意欲ゃ勇気が欠乏しています。とても,価値のある1週間でした。 私も,いい舞台がまた,つくれそうです。バリに関する情報があれば,お知らせください。 バリ島に行くU バリ島に行って後、体があちこち痒くなりました やっぱり自然に満ちているところでは、色々虫さんがいるようで、しばらくかいかいがつづきました。もうとうにバリ島のことなど遠くなってしまいましたが、やはり印象深いのか今だに思い出します。町のあちこちに物売りがいて 日本人に亀の置物を500円なとど声をかけるかわいい女の子。そうかと思えば 横の女性は、幣かは、両替できないから玉を札にかえてくれないかと。キンタマンテと言う有名な観光地にいけば、岩のような男がどでかい木の彫り物を持って5000円といってついてきます。ようやく車に乗るとなんと今度は、ガラス越しに1ドルではどうかといってくる 同じ物がです。ほんとにあきさせません フィルムがなくなりおばさんにいくらと聞くと3000円 目を丸まくしている私に日本でいくらかと聞くのです 300円グライというと にこにこ恐縮そうに売りつけるのをやめる ほんとにおちゃめなんだから。とにかくこの国には人間の生きるために必要な売る買うという基本がおおらかにおこなわれているのです 日本に帰ってきてみて、自動販売機の前にたち、一言も話さず物を買ってとぼとぼと歩きはじめるなんてことはないのです。 最後に私の泊まったホテルの隣の美術館 (なかなかよかったです)そこで車がいるなら僕に観光案内させてという(もちろん仕事として)ガードマンの男の子が 流暢な日本語で日本の観光客からもらった使い捨てライターをコレクションしていると写真をみせてくれました。僕の友達 新宿抜け弁天にいるよと、とても人懐こい子でした。最後の日 ウブドの繁華街で店先から突然また風のように現れ、今日休み ここに居るよと声を掛けてくれた。今日帰るというと人懐こい目でまた会おうと握手してくれた。何気ない事だけど バリ島の熱帯の日差しの中に人間のあたたかさ、忘れかけた大事なことが刻まれていた旅でした。 ギリシャ、イタリアに行く 第一回 旅嫌いの私が何故かまた旅のエッセーを書いている 不思議ですね。でも人生自体が旅なのですからその旅が嬉しくて楽しいものにしたいですね。だって人生旅行はたった一度なのですから。ところで10月1日からギリシャ、イタリアに行ってきました。これも不思議なんですが、さっきまでサントリーニの夕日を放心状態で見入っていたり、ギリシャの遺跡の前で呆然自失していた私はもう自宅の変わらない風景の中にいるなんて、これも便利な飛行機のお陰なのかもしれませんが便利は一寸怖い気もします。宇宙に飛ぶ時代になんなのと言われそうですが昔の人が苦労して辿り着いた風景とは大分違うようにおもわれるのですが。まあーそんな事はいいとして、お決まりの成田より飛行機でまずミラノに着きました。そう何故旅に出たかって。それは前に話たように私の父が洋画家でギリシャを初めて描いた作家でもあります。一緒に旅していた女流画家のSさんがもう一度ギリシャに行くから貴方の家族も御一緒しないと言われ、乗りやすい私たち家族、母と姉と私はこんな機会は中々ないと直ぐに決心、子供を置いて海外で絵を描いた父。母はそんな私たちを未だに不憫と思いママのお金でギリシャ行きが決まったのであります。チャッカリしている子供二人ですね。ママありがとう。何せママは81歳でありましてこんな機会は中々ない 最後かもと旅嫌いの私の重い腰も軽くなったのであります。さて、そうミラノに着き乗り換えてギリシャに兎に角飛行機の旅は結構大変だー。昔の人はもう置いといて。15時間以上かかりめでたくアテネに到着だー。いよいよ本題は次回のお楽しみ ギリシャ、イタリアに行く 第二回 アテネに無事に着きました 深夜です 空港からタクシーこれがくせもので外国では簡単にタクシーに乗れない。なぜなら雲助が沢山居るから。簡単に声を掛けられても乗っちゃーだめです。あとの旅で不可解な事が起こるんですが・・・。取り敢えずアテネ プラカ地区 中心街のホテル オリンピックパレスに無事つきました。へとへとだ。旅は緊張と疲れで本当にやんなっちゃう。 旅嫌い理由は緊張症と変化に弱い不器用さから来ているみたいです。兎に角三人はぐっすりベットに直行です。さて次の日 アテネの初めての朝、窓を開けたとたんびっくりです。あのアクロポリスが美しくみえているではありませんか 感激です。旅のつかれも吹っ飛びました。古代の遺跡に囲まれた街 アテネ とうとうやって来たのです。早速、門前町を通りアクロポリス遺跡郡に登頂しました。石の文化の凄さにびっくりです。かなりの高さの丘の上です。タイムスリップして古代ギリシャ人になったようです。丘から見る風景も素晴らしかった。乾いた大地に根が生えた荘厳で勇壮な円柱、日本人はカルチャーショクになります。何せ木と水の文化からやって来た私です。沢山の観光客にまぎれて門前街の一角にありますレストランに入りました。タベルナギリシャ語でレストランの意味です。ムサカはじめギリシャ料理を堪能しました。物悲しいギリシャ音楽の生演奏がまたたまりません。もう少しギリシャの話をさせてください 二回の後半はまたあとで 二回後半 続きです、ギリシャは元々ローマ帝国の配下にあった国、ヨーロッパと言えども中東の匂いがするエキゾチックな所が魅力ですね。食べ物も日本人にあったところもありますね。茄子とポテトとひき肉が入ったムサカ、ぶどうの葉っぱで包まれた食べ物、そして何より酒好きの私にとってはウゾーという白く濁るはっかの香と味がする爽やかな飲み物です。強い酒です飲みすぎに気をつけて。夏は暑い国なので清涼感を感じる飲み物なのです。しかし南国ではありません。冬は寒いそうですから、旅の良い時期は選ばなければならないと思います。これからサントリーニ、エーゲ海の島に渡る事になります。エーゲ海の島々の観光シーズンも六月から九月がベストシーズンになるそうです。アクロポリスや夕焼けの綺麗なスニオン岬などやはりギリシャは神話の国々です。ギリシャ神話をもう一度読み返せねばと思いました。神秘の神々のたそがれが胸に迫ってきます。以前訪れたバリ島とはまた違うテーストです。次回はいよいよ、サントリーニ島、父の絵で見せられてきた美しい島のお話を次回お送りいたします 三回 すっかり、執筆出来ませんした。芝居造りに日々追われています。9月の舞台は偶然にもギリシャの島が舞台です。そんな訳でギリシャ、サントリーニのお話をしたいと思います。私たちは空路ギリシャ、アテネからサントリーニ島に着きました。そこからタクシーでテェラ、夕焼けの美しい島に到着。島は夢のように美しく、紺碧の海は深く蒼く、大理石が埋まった海の色は他の海の国の青さを圧倒しています。泊まったホテルは父が定宿にしたホテルパノラマ。当時はベーシックホテルでしたが今は高級ホテルにかわっていました。島は断崖の上にあります。港からはロバやケーブルカーで上がります。店は高級店と飲食店が並び、父の来た頃の素朴さはありませんが、夕日の時間になると、父の絵のとおり紺碧の海が紫色にそまりやがて銀から金色にその美しさは圧巻でこの世のものとはおもえない宝石の上に漂っているようでした。アトランティス大陸がかつてここの島々だったかもしれないと云う神秘は他のリーゾートとは全く違う感覚です。後半は次回に 三回後半 ギリシャの美しさはいってみなければわからない。父がすきだったのが本当によくわかりました。兎に角海の色の変化の美しい事。夢の世界なのです。人間の持つ天国のあこがれのようですそう奈良、宇治平等院も日本人の描いた極楽思想が創ったそうだけど、ヨロッパ人の持つ天国思想がここにはあるのです。いつまでも海に抱かれていたい、今度は二ヶ月程いきたいです。その後、私達はローマへとたちました。それからフィレンツェに。二度目だけど、やっと良さがわかってきました。旅は同じ国を3回は行かないと良さがわからないですね。そうローマに着いた途端、雲助タクシーに乗せられ二倍の料金を払わせられた。空港で誘ってくるドライバーに気をつけて。ベンツのワゴンでしたが本当にやんなっちまう。でもローマはやっぱりいいですね ではまた次回に 演劇界よもやま 最近の演劇界は元気がない、其れもそのはず、次々に劇場閉鎖、赤坂、新宿、コマ劇場、歌舞伎座の取り壊し、とても疑問なのは、果たして本当に新しい劇場はスムーズに新築されるのか。何故ならば立替といいながら、いざ出来てみれば前とは程遠いものが出来る例がいくつもあるのだから。立替の理由に必ず使われる言葉は老朽化、アスベスト、耐震性。しかし、赤プリのどこが古いのか まあ、この状況に加え最近の演劇界は惨憺たる物。新劇でいえば新作がなく、どこかの老舗劇団は女の云々をまだ上演している。この作品は時代と主演女優の演じる意味があったのに、新しい発想がゼロである。新派や商業演劇は言うまでもなく需要の欠如。ミュージカルも四季は台頭している様にみえるけど、エセミュージカルの形態はいなめず。それに引き換え世界、特に中国や韓国の映画界、昔のニューフェースの華やかさと実力をもった俳優が次々に輩出されている。ハリウッドの衰退と言われても世界を相手にしているし、なによりも俳優の質、人種のあがきやスケール、個性が違う。テレビドラマにおいても50億から制作費。どれをとってもスケールが違う。ふーん、ため息日本人はどうしましょう。日本の衰退とともに演劇も消滅か。もう一度私たちの繊細なことばや生活習慣をみなおし、わが民族しか演じ得ない作品を世にだすことが急務である。と言いながらあわてて、英語とダンスの大事さに気がついた。逃げるつもり。無理無理 やっぱり伝統芸能を学ぶべきか
演劇表現塾について この塾は,演劇を舞台の上だけでなく,一般のかたもプロを目指す人も一緒に演技を学ぶ講座です 演技は、人間の本質であり。その演技が嘘がなく真実がなければ,意味がありません。 この塾は 感性を磨き,人として生きる勇気が湧く時間にしていきたいのです。 現代にはびこる病魔に勝つために。普遍的な人格教育が必要では,ないでしょうか。 この塾は,楽しみながら,演劇をまなびながらコミュニケーションしていく,楽しい塾なのです。続々と入塾者がいらっしゃいます。あなたも是非参加しませんか! 是非御一緒に,挑戦してみましょう! ☆ これから生きる上でも、大切な事は心の開放だと思います。 いつも柔軟な心を持ち、人と人との中で生きていく事は、重要な課題になるでしょう。少しずつ頑な心を演劇を通して開放していっています。どうぞあなたも参加してみては、いかがでしょう! 新劇と出会って 日本新劇俳優協会 50年周年記念誌 掲載 何時だったか総会で新劇とは何かと言う問があり、様々な意見が出ていた時があった。自分自身はどうだろう。最初に結論からいえば、私は新劇俳優になりたくてこの道を選んだので新劇という概念は自分の中に確立されていると思ってきました。 私の父は洋画家であった為、生活が洋風であったし五歳から中学になるころまで、国際賞への挑戦のためヨーロッパに生活拠点をおいていた。私は周りを女性に囲まれ、いつの間にか中性的に育てられおぼろげに俳優ならなれるだろうと幻想をいだいていた。母に連れられ、小学生に上がる前後から俳優座、民芸、文学座公演、劇団四季や商業演劇に足を運んだ。難しい芝居も苦にせず、外人見たいな日本人に憧れを持ち異国の地に憧れを持つようになった。今考えると父への恋しさとも重なっていたのかも知れない。何年か一辺に帰ってくる父が描いた絵に囲まれているといつの間にか自分がその地で暮らしているような錯覚を覚えました。日本に居ながら不思議な洋風生活の中で育ちました。芝居の憧れは中学、高校と強くなり大学進学の時期、父に相談すると新劇に進むなら許してくれると言ってくれました。高校の進路指導の教師も同じ答えだった。そんな事でお茶の水の文化学院演劇科に入学し、長岡輝子先生、北城真紀子先生に訓等を受けることになる、卒業期、劇団に入るかと考えていた時、輝子先生があなた様な変わった人は劇団に向かないと私が預かりましょうとニコラバタイユ氏のワークショップに入れてもらいました。そこには当時のそうそうたる新劇の幹部達が参加されていました。その内縁あって商業演劇に出演する機会を得て俳優の道に入りました。 それから途中、紆余曲折あったものの早や三十年今日に至っています 最初の問いですが、新劇とは時代、国境を越えた人間の真実の生き方を追求する芝居。そこには伝わることばと知性の探求が不可欠な事とおもいます。私たちの先人が血の出る思いで守ってきた新劇を新たな形で継承していく事が私達の世代に科せられた仕事と思います。最後に私の父がよく言っていた言葉に『絵を描くことは祈りだ』と言っていました。演じる事も祈りである事と肝に命じ新たな一歩を歩んで行きたいと思います ポエティックリサイタルPART13 皆様からの感想を一部ですが載せさせていただきます ありがとうございました 優しくて、温かい時間が流れた。何度も泣いた。嗚咽を久しぶりに経験した。 武田の品性や人間性がすべて映し出された、愛すべきコンサートだった
劇団主宰 演出家 何だろう…、大男の俺はおいおい泣いたですよ。 小笠原純子さん(声優の井上喜久子さんとまるたまりさんらとワイルドストロベリーとゆーユニットで活躍中)の心地よいピアノからはじまり癒されムード疲れて曇った心が浄化されていくような気分に♪
26才 会社員 女性 初めて
見た朗読会が、素晴らしい
光太郎さんでしたから、
これから
もし
他の方のを
見る機会があっても
今日みたいに
感動出来ないだろうと
思います。
光太郎さんの
発する
声
表情
仕草
どれも
好きです。
悲しい
詩の
最後に
上をみあげた
光太郎さんの
目が潤んで
光って
素敵でした。
すみれの
愛
辛いことばかりの
人生の
なかで
あなたに
出会ったこと
が
生涯の喜び
それだけで
生きたかいが
あった
と
伝わりました。
反戦も
。
また
時間も
愛情も
かけたから
自分に
とって
かけがえの
ないものに
なる
一番大事なものは
決して
目には
見えないこと
みんな
みんな
伝わりました。
光太郎さんの
大事に
なさっているものを
ひとつでも
感じとる
ことが
出来たかなあと
宮古から
出てきて
こんな
素晴らしい時過ごせて幸せでした 主婦 55才 K太郎さんのポエティックリサイタルに。朗読って幾つか見ているけれど、K太郎さんのリーディングは群を抜いて良かったなぁ。本を持っていてもあれだけの表現が出来るというのは素晴らしい事だと感心してしまった 45才 男性 音楽プロモーター 仮面を被らないから彼の朗読も語りも嫌みというものがまったくない。彼の人柄が生きるリサイタルだ。
ボク的には「花屋の店先で」が、その後の語りも含めて、一番よくて、一番好きだった。 本日はおめでとうございました。盛況の中、光太郎さんの詩の世界に入り…感動したと同時に、人の心を揺さぶる力があると確信しました!素敵でした。 バレリーナ 女性 感動し、光太郎さんと情感を共にしました。聴いているみなさんも激しく、あるいは静かに感動しているのが伝わってきました マイクを通さない生の声がよく 透明感がありました あいたくてと狐の話が好きでした 何度も聴いていたかった またのご活躍を祈ります 女性 84才
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